東日本大震災から半年が経ちました。
半年前の3月11日。
地震、その後の津波によって、失われた多くの命に、心からご冥福をお祈りいたします。
そして、大切なご家族・友人を失ってしまった方々にも、こころからお悔やみ申し上げます。
地震・津波だけなら、もう少し復興も早いのでは?とは、被災地の方々も口にしておられる事で、復興を阻んでいる大きなものは、やっぱり原発事故。
放射能が及ぼす影響は甚大で、今なお、生まれ育った土地に帰れぬ方々が多くおられ、牛や農作物への影響、除染、子供への影響など、問題は山積み。
そんな中、東●は電気料金の値上げを検討しているとか・・・。
欧米では、自然エネルギーか、石炭か、原子力か・・・と、電力を生み出すものによって電気料金が異なり、それを消費者が選べるのだそうです。
日本でもそうすれば、はっきり原発NO!と意思表示ができるのに。
安全な電気を買うためなら、自ら選んで高い電気代を払うけど、選択の余地のない状況で、今の東●の値上げに従わざるを得ないのは、なんだかとっても腹立たしい気がします。
結局、この夏の計画停電は避けられました。
一般家庭はもとより、企業の努力もあってでしょうが、そうなると、あの冬の計画停電はなんだったんだ?
本当に必要だったのか?なんてことまで考えてしまいます。
ただ、計画停電や、節電の夏を経験したことで、良かったこともあります。
今まで無駄に電気を消費していたわが身を反省したし、節電営業のショッピングモールや日中消灯の電車の中で、「もともと、あそこまで明るい必要はなかったんだよね」、「犯罪を誘発したり、高齢者や視覚障害者に危険な程に暗いのは困るけど、そうでなければこれで充分だよね」・・・と思うようにもなりました。
多分、これまでは、いろいろなところで 「必要充分 以上」 に電力を消費していたように思います。
原発は、トイレのない家に例えられます。
最終的に安全な形に処分することができないにもかかわらず、電力とともに放射性廃棄物を作りだしています。
福島以前は、トイレのない家なんてあり得ないと思っていたし、トイレがないなんて事すら知らずにいました。
研究者たちは、原子力の利用方法だけでなく、それを最終的に安全に処分する方法をこそ研究して欲しい、電気を貯める技術をこそ研究して欲しいと思います。
この半年の間に、ロンドンでも暴動などがありました。
震災直後、被災地で暴動や略奪の起こらない日本を賞賛する声があがりましたが、暴動や略奪が日本で起こらない(起こりにくい)理由には、日本は島国で、単一民族で、そしてなにより、震災が起こったのが地域のコミュニティが発達していて、ご近所さんが濃厚なおつきあいをしている東北だったというのもあるような気がします。
これが首都圏だったら、多分、もっと早い時期に略奪行為などが起こっていたんじゃないだろうか?って考えるのは寂しい?
被災地の皆様も、そして私たちも、来年の3月を、今よりもう少し明るい気持ちで迎えられますようにと祈ってやみません。