2006年8月アーカイブ

ぷりんママさんのところで知り、「保護日記・一つだけの花」を読むようになってしばらく経つが、今回の一件で、現実に手を差し伸べることは、とても勇気と覚悟がいることだと思った。

野良・飼い主の持ち込み・迷子と、境遇は様々だし、健康状態だって様々。

不幸な命を生むのも、減らすことができるのも、人。

あれこれ難しく考える前に、ただ手を差し伸べれば良いだけなのかもしれないが、おそらく今後も、@ぽち@がいる間は、ことさら慎重に、臆病になると思う。
私の場合、@ぽち@への責任をまっとうした後で、はじめて現実に係わることができるのかもしれない。

多分その時は、その時点での自分自身の年齢・体力・健康状態・経済状態を考えた上で、たくさんの保護犬の中から・・・・・やっぱり柴犬か、柴犬に風貌の似た犬を迎えるのではないかと思う。



義父宅近くの猫のこと。
最近話題の某直木賞作家のエッセイのこと。
ネットで猫についていろいろ読み歩いていると、
「地域猫」「T.N.R.運動」という言葉を目にした。

義父宅の路地裏に住む猫を見た時、[Return](もしくは[Release])という発想は、正直なかった。
「地域猫」という考え方が住民の間に生まれれば、それが一番良い方法なのかもしれない。
ひとりで行なうことは難しいが、地域としてこういう活動が広まり、浸透すれば良いのに・・・としみじみ思った。




『のらねこ学入門』
http://www.geocities.co.jp/AnimalPark-Tama/9073/
(端から端まで読みました。)


『地域猫の作り方』
http://noranekogaku.blog8.fc2.com/
『のらねこ学入門』を2005年4月からブログ化したらしい。
多分、ブログの絵を最後に集約して、『のらねこ学入門』中のギャラリー
「ミャーコと地域猫」のような漫画が完成するのだと思います。

この方、週刊朝日の似顔絵塾出身らしい。
どうりで絵が上手い。
(このところ、直木賞作家の「子猫殺し」というエッセイが物議をかもしているようですが、そのお話とは全く関係ありません。)

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義父宅近くでは、路地裏で野良猫達が毎年子猫を生んでいるらしい。
下町のやさしさ・・・と言えるのかどうなのか、路地裏でニャーニャー泣く子猫達に、何軒かのお宅が時々エサを与えている様子。

もともと野良なのか、捨て猫なのか、あるいは飼い猫が餌を目当てに通って来るのかわからないが、猫たちは年々増えて行く訳ではなく、徐々に頭数を減らし、結局残るのはいつも数匹。


野良猫は、エサを買い与える前に「まず避妊手術を受けさせるべき」と思う。
不幸な命を産まない為に。
猫の生態はよくわからないが、野良であることで、近親交配や病気だって蔓延することがあるんじゃないだろうか?


猫に餌を与える人にもいろいろ事情があるだろう。
たとえば、住宅事情から飼うことができない。
もしかしたら、以前、猫を飼ってた。
ほんとは今でも飼いたい。
でも自分の年齢を考えると今から猫を飼うことはできない。
ここの猫達の世話をするだけならば、飼うという責任は負わなくて済む。
生まれた子猫のうち何匹かでも生き残り、その子が成長し子猫を産む限り、自分はずっと猫の世話ができる。
・・・・そんな理由もあったりしないだろうか?


いろんなことを思いながら、義父にも「餌をあげる前に、避妊手術をうけさせるべき」とは言えない自分がいる。
かといって、それならオマエが野良猫達に避妊手術を受けさせるか?と問われれば、それもしない。(できない)


義父がことさらかわいがっていた「チビ」という名の(通う家によっていろんな名前で呼ばれていたらしい)白い猫。
彼女もいつのまにかいなくなっていた。
死んだのか、どこかの家猫になったのか・・・。
きれいな白猫だったので、きっとどこかの家猫に落ち着いていると思いたい。

お盆に義父宅を訪れると、「チビ」とは別の、骨と皮にやせ細った猫がいた。
義父が家に帰ると、窓の外で餌をねだってしきりに泣いた。
私たちの前ではそんなそぶりは見せなかったが、何度か義父も餌を与えたことがあるのだと思う。

その後、義父が入院し、病院の行き帰りに時々実家に寄り、窓を開け空気を入れ替えていると、人の気配を察知したその猫がやってくる。
窓のすぐ下でニャーニャー泣く。
ひたすら泣く。

近所の家から「うるさいよっ!おじちゃんいないよ!」と声が聞こえた。




迷った。

与えるべきではないと思ったが、肋骨が浮き、骨と皮にやせ細り、皮膚病なのか濡れたみすぼらしい毛のその猫を見ると、ここで何か食べるものを与えなければ、すぐにでも死んでしまうのではないかと思った。

その猫が、健康そうでつやつやの毛並みであれば、たとえ野良であっても他にも世話をしている誰かがいると思えるのだが、とてもそうは見えない。

もし仮に、ガリガリにやせ細っていたとしても、皮膚病のような濡れた毛並みでなければ、抱き上げて病院に連れて行くか、保護することもちらりと考えた。


でも、ウチには@ぽち@がいる。
@ぽち@に病気をうつすようなリスクは犯したくない。

義父は、この猫を飼いたいと思っているのだろうか?


この子がもう少し元気になり、いや、少なくとも皮膚病らしき状態だけでも改善され、もし私になつけば・・・。
そしたら保護して、病院に連れて行き病気を治して、飼い主を探すか、もしくは私たちが飼うということも、考えてみた。


翌日から、実家に向かうバッグの中には、プロポリスとヤギミルクと、@ぽち@のごはんを入れて行くようになった。
プロポリスやヤギミルクは、皮膚病っぽいその猫に触れることはできないが、少しでも症状が緩和できればという思いからだった。



保護する決断がつかないにも係わらず、餌を与えるということに迷いがあった。
私は、そこで暮らす者ではなく、たまにしか来ないよそ者。
でも、生きる為に必死で泣く猫を見ると、なんとか命を繋いで欲しいと思った。
2度ほど、その猫に餌を与えた。


数日後、かなりの量の雨が降った。
あの猫はどうしたかな?
雨に濡れて体力を奪われてるんじゃないだろうか?と気になった。

翌日、義父宅に行ったが猫は来なかった。


それから暑い日が続いた。

もう猫は死んでしまったのではないかと思った。


数日後、義父宅の数軒隣の家の前に、あの猫がいた。
ドーベルマンを飼うその家は、昔飲食店だったが今は店をたたみ、夏場は時々店の入口を開け放って風を通していた。
あの猫は、その開け放された入口の前にちょこんと座り、わたしの顔を見て、「ニャー」と泣いた。

家々の裏の路地で暮らしていた猫が、日の当る場所にいた。


生きてた!

なんか、ほっとした。
もしかして、飼ってもらえることになった?


その後、裏の路地でその猫を見ていない。

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